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ブログ、3年ぶりの再開

3年ぶりの投稿です。

長かったですね・・・。

3年前、「一人ぼっちじゃない」というタイトルで投稿し、
その後、どうしてもここに打ち込むことができませんでした。

それが、今、ようやくできた。
本当に立ち直れるまでに3年かかった、ということなのでしょう。

3年前に何があったのか。

辞めたのです。
14年間、勤めさせていただいたパソコンスクールを。

先へ進みたくて。別の道に進みたくて。

自分の決断です。

でも、つらかった。本当につらかった。
身を切られるよう、という表現がありますが、
そんなものじゃなかった。
皮膚を剥がされるようだ、と感じました。

それから1年間は、胸にいつも氷があるような
ソフトボールほどの大きな氷の玉があるように感じていました。

14年間、全力で取り組んでいたのです。
全身全霊で授業に臨んでいたのです。
週1日か2日の講義に、文字通り、命をかけていたのです。

自分のすべてを失ってしまったように感じました。
私には、もう何もなくなってしまった、とさえ思いました。

おかしいですよね。

私を大事にしてくれる夫も息子もいるのに。
将来への夢もあり、その道へと踏み出した私なのに。

でも、死にたい、とさえ思ったのです。

そして、死にたい、と思いながら、
同時に、おかしい、とも思いました。

打ち込んでいた仕事を辞めて、すべてを失ったように感じること、
死にたいとまで思ってしまうこと。おかしい、と思いました。

でも、3年経って、やっとわかりました。
私は、依存していたのです。

依存。

私が担当していた科目は、
初心者向けの中でも、少しテクニカルな科目でした。
以前のパソコンスクールでは、それを担当できる講師が少なく、
私は重宝がられたのです。

きっと、そこに、自分の存在価値があるのだと思い込んだのでしょう。
自分に自信がないから。自己肯定感が低いから。
「できる人が少ない科目を担当できる自分」にすがったのでしょう。
必死に。必死にしがみついたのでしょう。
それを失ったら、自分にはもう存在価値がない。
そこまで思い詰めていたのでしょう。
当時は、まったく気づいていなかったけれど。

胸にあった大きな氷の塊は、1年半後に溶けました。
その後の1年半は、新しい道でのお仕事に邁進しました。
と同時に、今度は家族とも向き合うようになりました。

そして、今日。
ようやく、ブログを再開することができました。
振り返り、整理することができました。

2019年6月。再開です。

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一人ぼっちじゃない

自分がつらい時、誰かに、思わず心が軽くなるように一言を言ってもらえたらな、
なんて甘ったれたことを考えてしまうことが、時々あります。

でも、自己中心的な生き方をしている私です。
寂しい時だけ、誰かに助けてもらおうなんて虫が良すぎる。
今のつらい気持ちは自業自得。甘んじて受けるべし。
そう自分に言い聞かせて、顔を上げて、背筋伸ばして・・・

でも、そんな時だからこそ。
何気ない笑顔や一言に救われてしまうことがあります。

先日、母が庭いじりをしていたら、通りがかりの女性が声をかけてきたそうです。
だいぶお元気になりましたね、と。
話したこともない、まったく面識のない人なので驚いていると、
これまで通りがかりによく、父の世話をする母の様子を見ていたそうです。
父は10年前から認知症で、3ヶ月ほど前に施設に入居したところでした。

「本当によくがんばっていらして・・」

そう言われて、母は思わず泣いてしまったそうです。
すると塀越しに(胸ぐらいの高さの塀)、その女性が母の肩を抱いて
一緒に泣いてくれたそうです。

私は一応、家族内では「クールな長女」というキャラで通っているので
ごく普通の声で「見ていないようで、人って見てくれているのね」と言ったのですが。
電話なので見えないのを良いことに、実はタオルで顔を覆って泣いてしまいました。

自分は一人ぼっちだ。誰も私の気持ちなんか分からない。
そう思ってしまうことがあるけど、それは違う。
誰も何も言わないだけで、遠くから、そっと気遣ってくれている人っているんですね。

決して一人ぼっちじゃないんですよね。
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父を施設に

6月17日に「母の工夫(認知症の父と日々を暮らす)」を投稿しました。
http://www.misystem.jp/blog40/?eid=227

11月、母から電話が入りました。
「もうね、もう、お母さん、限界かもしれない」

すぐに動きました。
施設は、実はもう以前から決めていました。

これまで、私が施設の話を出そうものなら、全力で否定してきた母です。
大丈夫。まだ大丈夫。頑張れる。
そう言うのですが、母はどんどん痩せていく。
私は、もう母が泣こうが叫ぼうが、
年が明けたら父を施設に入れると心に決めていました。

幸い空きがあったので、面接や手続きを経て、
わずか2週間程度で入所することができました。

父が「家に帰る」と言い出すのではないかと不安で仕方がありませんでしたが、
さすがプロの方たちです。父は、とても上機嫌で私たちを見送ってくれました。
その後も穏やかに日々を過ごしているようです。

しばらくの間、母は眠れなかったようです。
本当にこれで良かったのか。もっと頑張れたのではないか。
そう思い、くよくよと悩んでしまうのだそうです。

それを聞いて逆に、
もっと早く父を施設に入れても良かったのかもしれないと思いました。

母から、父を無理に引き剥がすようなこと、
母の反対を押し切るようなことはしたくないと思っていたのです。

だから、母からSOSの電話が来た時、むしろホッとしました。
母が納得することが何よりも大切なことだと思っていたからです。

でも、実際は、それでも母は「これで良かったのか」と悩んでいる。

どうあっても母がつらいのなら、私がもっと早くに決断すれば良かった。
そうすれば母に、あんなに辛い思いをさせずに済んだ。
こんなに痩せさせてしまうこともなかった。
私は、決断の時期を間違えた。そう思いました。
今も、とても後悔しています。

父が入所してから、もうすぐ4ヶ月。
いつ行っても、父は穏やかにラウンジでお茶を飲んでいます。
施設の方々には、本当に感謝の気持ちしかありません。
母も、少しずつ食欲が戻り、わずかずつですが体重が増えているようです。
旅行が大好きだった母と、また旅行に行きたいな・・。

------

友人に施設の話をすると、利用料をよく聞かれます。
父がお世話になっているのは認知症対応グループホームで、月17~18万円です。
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2016年良い一年になりますように

新しい年が始まりました。
新年というと、私はいつも吉屋信子のこの句を思い出します。

 初暦 知らぬ月日の 美しく

みなさんの手帳が、カレンダーが、日記が、
楽しい予定、幸せな思い出で満たされますように。
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TEDより「A bath without water」 by Ludwick Marishane

Eテレの「スーパープレゼンテーション」が大好きでよく視聴しています。
9月16日は、南アフリカの大学院生のプレゼンでした。

タイトルは、「A bath without water(水のいらない風呂)」です。

プレゼンをしたのは、2011年に優秀なビジネス・アイデアに贈られる「世界学生起業家賞」の
最優秀賞を受賞した Ludwick Marishane(ルドウィック・マリシャーネ)さん。

彼は、高校生の時、何気ない友人との会話から、
日常的に洗顔できないことが原因で多くの人が失明していることを知り、
水がなくても入浴したのと同等の洗浄と殺菌効果のあるローションを開発しました。

当時のお小遣いは週500円。PCもスマホもない環境。
でも彼はガラケーを使って、多くの人を失明の危機から救う商品を開発しました。

お金がなくても、PCがなくても、
やろうと思ったら出来ないことなんてないんだな、と改めて思いました。
とっても感動しました。

A bath without water(水のいらない風呂)
  Ludwick Marishane(ルドウィック・マリシャーネ)
http://www.nhk.or.jp/superpresentation/backnumber/150916.html#pre2
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